荻窪新聞 2014年7月16日
荻窪新聞

過去の記憶のよみとき方

あなたはこの絵に見覚えがありませんか?
 
時とともに変わりゆくまちやひと。
そしてこれからも日々変化し続ける。私たちが未来に残し伝えられることとは一体。
矢嶋又次氏の記憶画から、荻窪の昔をよみとく。
 
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荻窪の変わりゆく姿を残そうとして

 

 

 

こちらの絵は1976年に描かれた天沼弁天池の絵です。

矢嶋氏記憶画の天沼弁天池

 

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こちらが現在の天沼弁天池公園。当時の池は今はありません。

現在の天沼弁天池公園

 

 

こちらの絵は1976年に描かれた昭和2年に開設した荻窪駅北口の絵です。

矢嶋氏記憶画の荻窪駅北口

 

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こちらが現在の荻窪駅北口。だいぶ変わりましたよね。

現在の荻窪駅北口

 

 

 

これらの絵を描いているのは、荻窪で生まれ育った 矢嶋又次さん。

荻窪のまちと商店街の変遷を絵にとどめ、文化財の保護にも大きな貢献をされた方です。

 

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矢嶋又次さん

 

荻窪駅北側「矢嶋足袋店」に生まれた矢嶋さん。

家業の足袋店を継いだ後、荻窪駅北口開設に合わせお店を移転。移転と同時に洋品店に改装されました。

その後、戦争のため強制疎開を強いられて引っ越し。後にお店は廃業してしまうものの、自宅で洋服の修繕と仕立てを行っていました。

 

そして、人生の転機。70歳になったのを機に、荻窪のまちと商店街の変遷を絵にとどめようと筆を執りはじめます。

 

矢嶋さんが絵として風景を残してくれたことによって、当時のまちの様子や人々の営みをはじめ、当時注目されていた建物などもわかってきています。

 

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過去の記憶のよみとき方 ─ 個の先にあるもの ─

 

 

 

その激動の時代を生きてきた矢嶋さんの描いた絵を、今、間近でみることができるんです!

 

過去の記憶のよみとき方チラシ

 

 

先日5月24日(土)から、天沼弁天池公園内にある杉並区立郷土博物館分館にて、

「過去の記憶のよみとき方 ─ 個の先にあるもの ─」と題した展示が開催されています。

当時の様子をよみとける資料として矢嶋さんの作品のほか、瓶や包装紙、マッチなどの貴重なコレクションを見ることができます。

 

また、展示期間中の6月21日(土)7月27日(日)午後2時から3時に学芸員の方の展示解説イベントもございます!

 

天沼弁天池公園入口杉並区立郷土博物館分館は、冒頭でも紹介しました荻窪駅から徒歩10分に位置する「天沼弁天池公園の中」にあります。 

 

 

杉並郷土博物館分館の西棟広々とした公園を歩いていくと、展示場のある西棟が見えてきます。こちらの2階に、今回の展示の会場があります。

 

 

杉並郷土博物館分館の西棟展示室前の様子2階に上がると最初にお出迎えしてくれるのが、矢嶋又次さんとその仲間たち。

 

 

杉並郷土博物館分館の西棟展示室前の様子矢嶋さんの絵と現在の写真を使って説明してあります。

 

 

杉並郷土博物館分館の西棟展示室前の様子さっそく展示会場に入ってみましょう!

 

 

杉並郷土博物館分館の西棟展示室内の様子展示会場には、矢嶋さんの記憶画とその当時の写真などが展示されています。また、矢嶋さんの記憶画のほかにも、時代をよみとく数々の展示品があります。

 

 

 

 

矢嶋又次さんのタイトル画像

 

杉並区立郷土博物館分館 学芸員の山本さんに今回の展示の見どころを教えていただきました。

 

山本さん:タイトルにもあるように「過去の記憶のよみとき方 個の先にあるもの」の個の部分に注目して観ていただければと思います。

その個というのは、個人の個、一個の個に当たります。

 

この展示では2つ柱がありまして、無くなってしまいそうなものをどうにか残したいという、個人の想いが詰まったものと、もう1つは、残したいというよりも個人的に好きだから集められたものがあります。

 

その中でも、荻窪周辺と関係している資料性が高いものや、よみとくという面白さがあるものをキュレーションして展示しています。

 

杉並郷土博物館分館の西棟展示室内の様子

 

 

 

 

残すための絵として

 

 

山本さん:その1つ目の柱なんですが、明治38年に荻窪で生まれてから昭和63年に亡くなるまで荻窪に住んでいた矢嶋又次さんの記憶画が多く展示されています。

個人の個を強調したく、矢嶋さんの意識や絵がどのように変化していったかわかるように、1976年から1978年まで年代毎にわけて展示しています。

 

 

1976年に記憶画を描き始めるのですが、最初は矢嶋さんが住んでいた家の近所の風景を中心に描いています。

絵の具の種類も少なく、人物も描かれていますが、風景と化しているのがわかります。

その後、自費出版した本が注目されて、見せること、見て知ってもらいたい、伝えたいという思いがだんだん強くなったのではないかと思われます。

 

矢嶋氏記憶画大正初期善福寺川 薪屋の堰(1976年)

 

 

 

 

伝えるための絵として

 

 

山本さん:変化が強くみられるのは翌年の1977年です。

それまでの絵を残したいという意識から、人に絵を見てもらいたい、伝えたいという意識が強く感じ取られる絵を描かれています。

 

それが、地図の記憶画です。

ただの地図ではなくて防災を意味しており、埋立地の場所を示して、雨が降った時に水害が起こるのではないかという危険を知らせる地図なんです。

 

矢嶋氏記憶画大正初期之八丁通り附近略図(1977年3月)
水色の部分が区画整理などで埋立地になった場所
大水の続いた時など、災害に備えてほしいという思いで描かれた作品。

 

 

 

1978年になると、絵の具の色も増え色鮮やかになり、絵の技術も上がり、それとともに人物の描き込みも多くなっているのがわかります。

少し遠くの場所を描いたり、お祭りや人の営みに注目して、たくさん人物が描かれたりするようになります。

 

人物の動きなども細かく描かれており、活き活きとしています。

 

矢嶋氏記憶画青梅街道の行商 ラオ屋 風鈴売り(1978年)

 

 

このように、絵を描かれたのは3年間ですが、矢嶋さん自身の個人の意識変化が絵とともにみられるので、実際見ていただき、それを感じていただければと思います。 

 

 

 

 

伝えるための細やかな表現

 

 

山本さん:矢嶋さんの絵は、実はかなり忠実に再現されているため、近くでじっくり見ているとたくさんの発見があり、また当時の様子をうかがうこともできます。そのうちのいくつかの絵を紹介します。

 

矢嶋氏記憶画秋葉神社の常夜燈(1976年)

 

向って絵の右下に、当時あったお茶屋と桶屋が描かれているのですが、よく見るとわかるように赤い緋毛氈(ひもうせん=赤フェルト)や桶が描かれています。

 

 

 

矢嶋氏記憶画新宿駅前のそば店(1978年)

 

矢嶋さんが幼い時に連れて行ってもらったおそば屋さん。忘れられない思い出の場所だそうで、みんなニコニコ美味しそうに食べている様子が伺えます。

よく見ると、そば猪口やそば湯も細かく描かれ、草履はしっかり人数分描かれています。

 

 

 

 

 

庄司太一さんのガラス瓶

 

 

 

山本さん:2本目の柱である個人のコレクションでは、ガラス瓶、包装紙、マッチを展示しております。

 

杉並郷土博物館分館の西棟展示室内の様子

 

庄司さんはNHKの探検バクモンの番組でも紹介されていた方で、主に明治と昭和のガラス瓶の収集で有名な方です。

自宅の庭に建てたボトルシアターという建物には、およそ7万本の瓶がコレクションされているようです。

その中から杉並区にまつわる瓶をお借りして、このように展示しております。

 

杉並郷土博物館分館の西棟展示室内の様子庄司太一さんの瓶

 

現在の蚕糸の森公園(東高円寺)の場所にかつてあった蚕糸試験場では、絹の他に桑の葉を研修しており、これらの成分を使用した育毛剤が作られていました。

その当時販売されていた育毛剤の瓶や、杉並区に昔あった化粧品会社の瓶など、杉並区にまつわる様々な瓶が展示されています。

 

 

 

包装紙からわかる今はなき地名「オンダシ」

 

 

山本さん:こちらは、きれいだから残しておきたい、何かに使えるからと残しておきたいと集められた包装紙なんですが、包装紙にはお店の場所などがわかるように名前や住所が書いてあるんです。
その書かれている地名から、昔の人の生活の一部をよみとくことができることもあるんですよ。

 

杉並郷土博物館分館の西棟展示室内の様子包装紙鮮やかな包装紙。地名に「オンダシ」と書かれているものがあります。

 

当時は大八車に野菜などを載せて、荻窪から秋葉原の市場まで歩いて売りに行っていたのですが、途中坂が多く、一人では運べないので後ろから押してくれる人が必要になりました。

そのような押す人が必要な坂のことを「オンダシ」と呼んでいたそうです。

 

杉並区内だと、新宿方面の市場への行き来によく青梅街道が利用されていました。その青梅街道に出るための坂道を、かつてはオンダシと呼ばれていました。

そして、市場からの帰り道に、その辺りで子供におみやげを買ってきていたそうです。

その当時の包装紙が、こうしてオンダシのことや青梅街道が重要な道だったことを伝える大切な資料の1つになっているのです。

 

また、棟方志功氏が荻窪に住んでいたので、彼に揮毫(きごう )※1してもらった屋号を包装紙にあしらったものもあります。

お店と芸術家の方との間に交流があったことがわかりますよね。

 

※1…依頼して筆書きしてもらうこと。

 

杉並郷土博物館分館の西棟展示室内の様子包装紙棟方志功氏の筆を見ることのできる包装紙

 

 

 

マッチがとても身近なものであったこと

 

 

山本さん:前回の「ひとひと 火のある生活・人の知恵」という火に関する展示でも紹介していたのですが、ホテルや喫茶店でタバコを吸うために使用される現代とは違って、当時は台所などで火をつけるときにマッチを利用していたんです。
ここに展示されているマッチを見ても、お菓子屋さんから電気屋さんまで様々な業種のお店がマッチを配っていたようです。マッチが日常的に使用されていたことがわかりますよね。

 

杉並郷土博物館分館の西棟展示室内の様子マッチ

 

今回の展示品の中に、洗濯機のマッチがあるんですが、チラシ・広報的な意味合いで配られていたという、その時代背景も伺えますね。

 

例えば、現在も営業されている荻窪の邪宗門さんでは、マスターがマジシャンだったこともあって、マッチ箱自体がマジックの種になっていたそうです。

邪宗門さんのマッチのように、当時はデザインが凝っているお店が多く、カレンダーを付けるなどして簡単に捨てられないように工夫されているんです。

 

 

 

 

残し集めてくれた人 そのものの価値を見出だせる人
それは共有の財産となり 未来の大切な資料となる

 

 

 

山本さん:コレクションは、家族や周囲の人から理解されにくいこともあって、捨てられてしまうこともあるようです。

しかし、100年後、200年後どのような資料が必要になっていくのかわからない状態なので、
誰かが残してくれることによって、もしかしたら未来に広がる可能性を秘めているかもしれません。

 

今回の展示では、何かを残したい!集めたい!という個人の情熱からはじまったことが、他人にとっては価値の無いものに見えても、見方によっては意味があり、資料性としての価値も高まっていくということを感じとっていただければと思います。

 

残したり、集めたものの価値は、いろんな視点を見出だすことで、多くの人が共有できる財産や情報になり得ます。そんな価値を見い出せる人の存在も重要ですよね。

 

 ── 山本さん、貴重なお話ありがとうございました。

 

 

残し集めてくれた人(コレクター)のお陰で、当時をよみとく大切な資料が受け継がれていくのです。

そして、残し集めてくれたものの価値を見出だせる人の存在もまた同じく重要な存在です。

両者の存在があって、私達は多くの過去からの情報を共有できるわけです。

 

今現在、何かをコレクションされている皆さま。

未来の大切な資料になり得る可能性があるかもしれませんよ!

 

 

後記:

山本さんもいろいろ収集されているようですが、最近は、蛍石(フローライト)を集めているそうです!

自然に八面体に割れる石で、いろんな色があり、産地によって石自体の透明度も違うそうです!

私は、洋服につけるようなボタンが好きで集めたり、作っています。

 

 

みなさんは、何を集めていますか?

 

 

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関連イベント 

 

杉並区郷土博物館分館の学芸員の方による展示解説イベントを行います。

 

第1回:6月21日(土)午後2時〜3時

第2回:7月27日(日)午後2時〜3時

 

あなたも是非矢嶋さん記憶画からよみといて見てはいかがでしょう。

矢嶋又次さんの記憶画

 

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(編集:オギジン編集部)