荻窪新聞 2013年6月18日
荻窪新聞

中央線文化はここから始まる

荻窪を愛した文化人たちの足跡を辿る
 
120年ほど前に荻窪駅が開業して以来、住宅街としての歴史を重ねてきた荻窪。かつては東京から程近い別荘街として「西の鎌倉、東の荻窪」と称されるほどの人気を誇る。
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多くの文化人に愛された街 今なおその名残を感じる魅力あふれる荻窪 

120年ほど前に荻窪駅が開業して以来、住宅街としての歴史を重ねてきた荻窪。
かつては東京から程近い別荘街として「西の鎌倉、東の荻窪」と称されるほどの人気を誇り、関東大震災以後には都心へのアクセスがよい荻窪には学者や文化人などをはじめ、多くの人々が移り住んだ。
 
与謝野鉄幹・晶子夫妻や、『荻窪風土記』を記した井伏鱒二氏、音楽評論家・大田黒元雄氏などの文化人にも愛された街としても広く知られている。
『荻窪風土記』には作家や画家等の知識階層が荻窪の文化を形づくったことが綴られている。そうした歴史を重ね、今では「本の街」「クラシック音楽の街」として知られる文化的な側面が強い街になったことはすでにご存知であろう。
 
今後、変化し続ける街の中で、変わらないモノ、変えてはならないモノを伝え残すことが、私たち荻窪を愛するものの役目の一つかもしれない。

詩を詠う公園       与謝野鉄幹・晶子夫妻が晩年まで過ごした居住地

去年、南荻窪4丁目の与謝野鉄幹・晶子夫妻が晩年まで過ごした居住地跡に、「与謝野公園」 が開園した。
 
二人が詠んだ歌碑が立ち、文壇の匂いを残しながらも、老若男女問わずに親しみが持てる公園である。気持ちがすーっと穏やかになる、安らぎを感じる場所でもある。
 
こうしたゆかりの地は、荻窪近 辺のみではなく、与謝野晶子の歌碑は海外にも建立されている のだとか。与謝野晶子の出身地 の堺市内には与謝野晶子文芸館 もある。
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▲住宅街の中だが広々と遊べる公園。家族連れの来園者も多かった。 
▲入り口の碑には与謝野晶子が詠んだ「歌はど うして作る」の冒頭が刻まれる。
▲晶子・寛がそれぞれ7首、合計14首を刻ん だ歌碑

環八通りを渡り荻窪三丁目へ進 むと緑豊かな「大田黒公園」が 住宅街から顔を覗かせる。
音楽評論家の大田黒元雄氏の屋 敷跡地につくられた公園だ。
 
区立公園として初の回遊式日本庭 園であり、園路の大イチョウの 並木は圧巻だ。
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▲身近な自然にふれることが出来るのも大田黒公園の魅力。 催し物広場では野草展やサツキ展が開催される。
▲中庭の井筒からの流れは庭園の中心の池にそそぐ。

「大田黒公園」から歩いて数分 の場所では、角川書店創設者の 角川源義(げんよし)氏の邸宅 の庭を「角川庭園」として公開 している。
旧邸は国の登録有形 文化財に登録されており、「角川庭園・幻戯山房~すぎなみ詩 歌館~」として旬会や茶室など に利用されている。
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▲西側には茶室があり、露地には水琴窟が設けられている。
▲邸宅の前の庭園は広くはないが、四季折々の花が楽しめる。
▲生前の角川氏の遺志に基づき、御遺族は蔵書を角川日本文化図書資料館に寄贈された。

荻窪を語る上では外せない、井伏鱒二と太宰治。二人にとっての荻窪とは

太宰治と井伏鱒二。荻窪にゆか りある二人は太宰の高校時代か ら文通を続けていた。太宰が上京時に強引に面会を求めるとこ ろから二人の生涯にわたる付き 合いが始まったという。
 
太宰は 井伏を生涯の師とし、井伏の自 宅近くに転居し、井伏の旅先を 追った。昭和13年9月、太宰は御坂峠の井伏 の所にやってくる。
このときに 太宰が執筆した『富嶽百景』で は井伏と三ツ峠を登るエピソー ドが綴られている。
 
太宰の才能 を予見した井伏は、私生活の面 でも全面的に太宰を助けた。井伏鱒二著『荻窪風土記』や『太宰治』を読むと師弟を超えた二 人の絆を感じる。
太宰治は昭和 23年(1948年)6月13日夜 執筆中の原稿、美知子夫人あての遺書などを残し、山崎富栄と 玉川上水へ飛び込んだ。
 
井伏鱒 二は平成5年(1993年)7月 10日に没した。九十五歳の大往生であった。