荻窪新聞 2013年7月10日
荻窪新聞

メッセージを受け取ろう。

まちの読みかた<第01号>荻窪散歩での着目ポイント
 
まちを歩いていて目に入るもの。神社・仏閣や神仏、坂や小径やポンプなど、全てがメッセージ発している。これらのメッセージを受け取ることで、まちのストーリーを体験しよう。
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建築物が発するメッセージ。神殿の向きから方角を読み解いてみよう。

多くの神社の社殿は、南側を向いていることはご存知だろうか。「天子南面」という中国の思想のもと、北極星を背にして南に向く形をとっているのだ。
荻窪だと、天沼熊野神社天沼八幡神社本天沼稲荷神社などが南向きに当たる。
 
もちろん、その他の方向を向いている神社も少なくはない。特に東向きの社殿がある神社は古社が多いと言われている。東から昇る太陽が、ご神体の鏡を照らす向きになっているのだ。
荻窪だと、荻窪八幡神社荻窪白山神社などが東向きに該当する。
 
他にも例えば、山岳信仰の強い神社は、山に向かって拝める形になるよう西向きであったりもする。
また、北向きの社殿をもつ神社はごく稀であまり見受けられない。何かしらの理由が考えられるので、歴史を調べてみると面白いかもしれない。
 
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天沼熊野神社。創立は神護景雲2年(768年)が始まりという旧天沼村の鎮守。HPの古道散策や地域情報は必見!
天沼八幡神社。四百数十年もの間、天沼の「鎮守さま」として長く守護してきたそうだ。寿通り商店街先にある。
本天沼稲荷神社。旧天沼3丁目(昔の天沼村字本村)の鎮守様。すぐ近くには太宰治のゆかりの地がある。
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荻窪八幡神社。青梅街道のある北側の鳥居と、大震災で惜しくも倒壊し、近年再建された東側の鳥居がある。「道灌槙」などもあり歴史が深い。神殿は東向き。
荻窪白山神社。白山通りから続く長い参道は心地よいので是非とも一度通ってみていただきたい。歯の神様として知られている。同じく東向きの神殿。

神仏からのメッセージ。古道や村の境界だった場所、土地の特徴を読み取ろう。

天沼1丁目5番地にある三叉路の角には、今も「民間信仰石塔」として庚申塔と地蔵が祀られている。杉並区内でも比較的古いもので、当時の天沼村での民間信仰を知ることができる。
 
民族文化が垣間見られると同時に、この道は古くから天沼村の旧道であり、また人が多く行き来する辻であったと考えられる。

駅中からも小さなメッセージ。駅の屋根が何で支えられているか見てみよう。

一度は通ったことがあるだろう、荻窪駅西口の跨線橋。橋の上に改札があることも珍しいが、古いレールを再利用した柱で屋根が支えていることにもお気づきだったろうか。
 
この跨線橋、意外と歴史は古く1960年に設置されている。ふと素材に目を向けることも、昔ながらの風景を彷彿とさせるきっかけとなるだろう。
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天沼1丁目にある民間信仰石塔。向かって右側が庚申塔、左側が地蔵塔。阿佐ヶ谷方面の道からちょうど二手に分かれる道の間に建っている。
荻窪駅西口の屋根。支えている支柱が古いレールを再利用している。近年では余り見られないが、古くからある駅舎では良く見受けられる。

看板建築が語りかける。お店正面のデザインが語り続ける時代の遷移と名残。

看板建築をご存知だろうか。看板建築とは、主に商店で用いられ、通りの正面に看板のような平坦な壁を設けた建築のことである。
 
現在でも荻窪の商店街で所々に見受けられるこの看板建築は、関東大震災後に変化が出てきた「軒を道路側に出してはいけない」「耐火性のある建材を使用する」「洋風デザインの普及」といったそれぞれの理由と、震災復興の過程も経て流行した建築様式だ。
 
現在では老朽化による建て替えなどで、看板建築は急激に減少しているが、荻窪では関東大震災後も長年にわたって街道沿いで商売をしている商店が多く残っているので、まだいくつか見受けられることができるだろう。
荻窪という街ならではの商店の長い歴史と、近代化による急激な時代の変化を感じることができるのではないだろうか。
 
 
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青梅街道に面する八丁通り商店街にある老舗の鶏肉店「立花家」。八丁続く商店街には、このような看板建築様式の商店が軒を連ねていたのかもしれない。
天沼協和会通りにある老舗の寿司屋さん「亀井鮨」。看板建築の存在感は、一目でそこが商店街であることを印象づける。両隣も同じ看板建築だったのかもしれない。
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次回の「まちの読みかた」は地名の由来となった荻と、駅前の戦後闇市について。

荻窪のまちを散歩する上で、着目すると少し面白くなる「まちの読み方」を紹介させていただいたのだが、まだまだ街中に多くのメッセージが残っているだろう。
 
散歩中も常にアンテナを張り続けていれば、まちの地形や建物からどんどんメッセージを受信できるようになり、様々な街のストーリーを体験できるようになるかもしれない。
 
次回は荻窪駅周辺を中心とした「まち読み」。乞うご期待。